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株式会社井上塗装は山梨県富士吉田市にある塗装店です。

TEL. 0555-22-2847

〒403-0005 山梨県富士吉田市上吉田5397

二代目奮闘録その弐HEADLINE

皆さんしばらくです。

の壱を書いてから随分と日が経ちました。
なんせ日々東奔西走でこれと言った休みもなく相変わらずの日を過ごしていました。

さて、ぼちぼちその弐を書くとしましょう!(^^)!

回自転車のペダルが折れたという話をしましたが、折れるのは国道138号線の自衛隊北富士駐屯地の信号から北富士演習場入り口あたりの間まで穏やかでも坂道の為、踏ん張ってペダルを踏まないと前に進めないからです。
いきなりペダルの付け根がポキ(゚д゚)!それもどういうわけか決まって左がポキッ!左利きなので足も左足の方に力が入ったかもしれません。
ぁそこからUターンです。それも今は廃業してありませんが、金鳥居を下った富士吉田郵便局の上の自転車屋さんまでペダルの交換に行かなければなりません。
一年の内に何回かこんなことがあったっけ...
それから来た道を又全力でペダルを踏む。
その日に使う材料はもとより弁当も積んでいる。少しでも早く現場に着かないと理由はともかく雷が落ちる
一度は、「もうここまで来て戻れない」と片方折れたペダルの付け根に足をつけてなんとかペダルを踏んで現場に着いた時は、靴底に穴が開き足の裏から血が出ていたが、そんなことより親父からの雷が落ちずホッとしたのを覚えている。
の当時の親父は俺がわき目もふらずにただひたすら自転車をこいでいる時にバスに乗っていたが、俺のことを見向きもしなかった。そういう親父だった。
「辛かったなー」
唯一の楽しみはおふくろが作ってくれた弁当を食べることだった
今はほとんど見なくなったドカベンに箸が刺さらないぐらいご飯が詰まっていた。
転車の話はこのくらいにして、そうそうクレオソート塗りのその後の話をしましょう。
クレオソート塗りも初日だけで終わったのではなく、それから数日ベランダの下とか否応なく目に入るような場所ばかり塗らされた。
仕事は「きつい・辛い」俺はなんでこんなことをしているのか、いくら考えても解らない。それでも仕事は辛かったが、帰りは気持ちいい。
でも冬でも仕事の汗はともかく自転車を漕ぐ時は汗びっしょりになる。帰りはその汗をかいた体に心地いい風が当たる。
今日も怒られたり辛かったが帰れる。
帰りはペダルを踏まなくても帰れる。今でこそ車で通る道、意識するほどの坂道じゃないが、ペダルを踏まなくても走るってことはそれなりの坂道だったのだ。
おっと!又自転車の話に戻ってしまいました。
仕事も辛かったが一番辛かったので、やがて60数年時が過ぎても鮮明に覚えているってことかな。
事の話に戻りましょう(;^ω^)
日を重ねるごとにだんだん刷毛の使い方も覚え、あまり腕の方までペンキが付くことが少なくなりました。言われたことを一生懸命している時、「その仕事が終わったら次はこれをやれ」
塗装の仕事は吹付作業は別として、あまり物音を立てない仕事なので、小声でも言われたことは聞こえるが、うっかり聞きそびれて聞き直しても二度と同じことを言わない親父だった。
今思うと性格もあまりよくなかったのかな…(笑)だから真剣に作業をしていても気配を感じると耳が敏感になった(これも笑い話である)
の当時の山中湖畔は別荘ブーム。そして企業の保養所がそこかしこで新築されていた時代だった。
地元の人が大きな建物を造り、企業に保養所として使わないかと斡旋すると、ほぼ百パーセント契約が成立する時代だった。
の中の一つに大きな保養所の新築現場での事、職人さんは大工さんが十数人、電気屋さん、水道屋さん、内装屋さんそして外の仕事をする人たち総勢数十人の人たちが一堂に集まった休憩時間、今では考えられない時代だったかもしれないが、10時3時の休憩時間には菓子やパンが山ほどお施主さんが出してくれる。
みんな一服するとき、端っこにいてパンの山を見ても勿論、自分から手を出すわけにはいかない。
そのうち親父の一言、「一人前の顔をして座っているな」の一言が飛んできた。
恥ずかしくて居たたまれず、すぐその場を立ち建物の陰に、悔しくて涙があふれてきた
泣いていても仕方がない。取り合えずやりかけた仕事をやろう。
こへ電気屋さんの親方が来て「f、ほれ食べろ。」とパンをくれた。
涙とともに飲み込んだパンの味は未だに忘れない。人前で恥をかかせるのは平気な親父だった。
自転車に乗り、通った山中湖畔その間に何度辞めたいと思ったことか。。。
「辞めたい」その言葉を口にする度、お袋に「お母ちゃんと待子(妹)のために我慢しなさい。」と慰められ、又次の日も山中湖畔へ…
「一生怒られっぱなしじゃない!何時かは必ず追い越してやる!それまで我慢しよう」そんなそんなで3年半、自転車通いに終わりが来た。
うです!原動機付自転車の免許を取ったのです。
50ccのバイクの免許、今までのあの苦労から解放されたのです。
今度は現場に材料を下ろして、親父をバス停まで送り迎えする仕事が増えました。
「原付バイクは二人乗り禁止ですが、既に時効なので書いても大丈夫でしょう」
それにしても力いっぱい踏んで自転車で通る道がこんなに平らに感じるなんて。
仕事もそれなりに覚えてきた。その仕事も何一つ手取り足取り教えてもらえなかった。教えるという意識は親父にはなかったような気がする。
要するに人のすることを見て覚えろ!の類であった。
の原稿も最初に書き始めてから三年余りが経ち、久しぶりにPCを開きました。
まだまだ原稿用紙にすると二十枚以上になると思います。
又、時間が空いた時に続きを書きます。今でこそ弁当を持って現場で職人さんと一緒になり仕事をすることはなくなりましたが、それなりに仕事が増えました。
性格的にじっとしているのが苦手です。じっとしているのは寝ている時だけかな。。。

令和元年7月
株式会社井上塗装
代表取締役 井上 f

バナースペース

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